2010年4月7日水曜日

日本舞踊とバレエの基本姿勢について





バレエを5年ほど、日本舞踊を8年ほど習っていたので
その経験から思い出されること
ヨガやパーソナルトレーニングなどで
身体的に学んできたことを
少し書いてみようと思います。





まず、自分のからだをパーツ別に動かすことはできますか?

それは、どこがよく動いて、どこが動きにくいでしょうか?

もし動かせるとしたら、どんな風に動く可能性がありますか?

その場所は、どこからどんな風に始まって動いていると思いますか?

また、その場所はどんな形をしていると思いますか?(骨・筋肉)




これらの質問を、自分が気になる場所にたずねてみるとどうなるでしょう。
もしくは、自分が気になる場所を動かすときにたずねてみるとどうなるでしょう。






肩 というのは、肩甲骨と鎖骨と上腕骨の
ちょうど出会った辺り一帯を指すのだとしたなら
それぞれの骨は、どんな方向に向かって出会っていっていますか?

また、それは一つの単純なベクトルとして意識されていますか?

それとも、いくつかのベクトルの組み合わさった立体的な意識のされ方ですか?



これらの質問は、文字だけで意識するのは限界があるかもしれません。
(そんなときに、レッスンで体験することが役に立つのですが)

けれども、あなたがこれらの質問を
ただ興味を持って自分に聞いてみることで
新しい発見があるかもしれません。







それから、ひとつ大切なこと。

アレクサンダー・テクニークで学ぶ
「余計なやりすぎていることをやめていくこと」
を自分に提案しながら

同時に

「自分がやりたい動きをするのに必要なこと」
を洗いなおして、エネルギーを集中させていくこと
というのが必要になってきます。


つまり、それは
引き算をしながら
足し算、もしくは、掛け算をする、ということです。






その公式を
「胸を開いて肩を下ろしていく」
という動きに当てはめたときには


自分の頭や四肢を
胴体に引き込んだり
胴体から引き離していくことを
いったんあきらめる

という引き算をしながら


日舞、洋舞、それぞれの場合に
次のような足し算、もしくは掛け算をしていきます。







日舞の場合は


下丹田(おへそから指三本下のところ)に意識を向け
下腹部の内圧に気がつきながら
ぐっと仙骨に向かって下丹田を寄せていきます。
(お腹の厚みはたっぷりと反発を感じ取りながら、下腹部を薄くしようとする)


その状態を保ったまま
股関節とひざと足首がそれぞれにゆるみ
動いて曲がることをゆるし
上体は起きているままで腰の位置を必要に応じて低くします。


その股関節のゆるみを利用して

女踊りの場合は、脚全体を内転させるようにしながら
それぞれのつまさきが内に向くように角度を変えます。

男踊りの場合は、腰の重心位置を安定させたまま(あまり変えずに)
自分の骨盤全体の意識をしっかり捉えなおし
坐骨と骨盤底から地面に向かって重厚なしっかりとした芯が通っている
というように思ってみます。


そのときに、膝の向きがつまさきと同じ方向性に来ているか
また、自分の下半身の充実度(重心の安定具合)と上体の状態の対比に
それぞれ意識を向けて動いてみると
どちらの場合もからだ全体で踊ることの助けになります。

(反対に、子どもや老人、酔っ払いなどの場合は
 その比重を変化させることで、動きの変化がつきます。)



まず、ここまでで、腰を落とした基本姿勢が
脚腰のバネの可能性を含みつつ安定してできるかと思います。





さらに、ここからが
日舞のときの上体のつくりかたです。


さきほどの下半身の充実した状態と合わせるのですが
上体はあえて何かしようとすることをあきらめてみてください。


やっている努力を数値にしてみたら
下8:上2くらいでもかまいません。

(この「上2」の努力は、振り付けで動くための労力だけに使います。)



これは、男踊り、女踊りなど、踊りたい演目によって対比を変えることで
動きの質感のもととなる体の質感が変えるヒントになります。



そしてとくに女踊りで胸を開き、肩をなだらかにしたいとき
よくやりがちなのは背骨をそってしまうことですが
それでは背中や腰を縮めて硬くしてしまうことで
背筋や腰椎を痛めてしまいます。


それなので、背骨を沿ってしまう代わりに
まず、お腹全体(みぞおちから恥骨にかけて)をぐっと背中側に向かって薄くします。

つまり、腹腔内圧を高くすることを意識してください。

このとき、骨盤(坐骨・骨盤底)が真っ直ぐ下を向いていることを確認してください。



そうして、ちょうど帯から上
アンダーバストから上を何かしようとするのを一旦あきらめます。

そうしながら、肩甲骨を左右どちらかをひとつずつ
そっとやさしく少しずつ動かしてみます。

急いで力で引き寄せてしまわずに
意識の力でそっと少し方向を変えて回転しながら動くことをゆるしてください。



ここで大切なことは、肩甲骨が思うように寄ってくれない場合
日常動作の中で自分の肩甲骨の動きを制限してしまっていたり
それが積み重なることよって、稼動範囲が狭まっていることが考えられます。

その場合は、アレクサンダーのレッスンを受けながら
可動範囲を拡げるエクササイズをしていくと
運動神経とともに筋肉の柔軟性が高まって
徐々に自由に動かせるようになっていきます。


何事もあせらないことが肝心です。
(これをアレクサンダー・テクニーク用語でエンドゲイニングを抑制するといいます)






また、洋舞の基礎となるクラシックバレエの場合は



さきほど書いた引き算のプロセスを経てから


自分の上丹田(みぞおちより少し上からトップバストの真ん中辺り)
そのあたりを意識してみましょう。



そうして、自分のみぞおちの奥から
お腹の奥=背骨の前側あたりを通って
ずっと長ーーーく脚が地面の奥深くまで根を伸ばしている
と思ってみてください。

(実際に、大腰筋はみぞおちの奥辺りから大腿骨までつながっています。)



同時に、下腹部からみぞおちにかけて
ぴたっと真空パックしたら骨の構造にそって凹むような意識をもちつつ
お腹をうすーく背中に近づけていきます。

(ここで、背中をお腹に近づけるのではなく
 お腹を背中側に薄く寄せていくことがポイントです。)



そうすると、若干骨盤が前傾(恥骨が上に上がり、しっぽは下がる)気味になりがちですが
坐骨(座ったときに手を敷くとごりっと触われるお尻の骨)が下を向いているかどうか
そのことに興味を持っていてください。

(決して、自分にストイックに強いてしまわずに
 間違うことも面白がってみてください。)



そうして、自分の骨盤から横隔膜の下までの腹腔内圧が
みっちりと意識されたら
股関節、ひざ、足首が自由に
ゆるみながら動くことができることをゆるしてください。



そうして、股関節からゆるんで脚全体が外転しながら
つま先が脚全体の外転について外側に向くとアンデオール。


そうしてプリエをしたときに
ひざがつま先の方向と同じ方向を向いているか
観察してみてください。






それから、ここが本題の
「胸を広~く開いて、肩をなだらかにする」やり方



先ほど書いた腹腔内圧を意識できる状態に
しっかりと自分の横隔膜から骨盤内の圧を高めたまま

日舞と同じくアンダーバストより上で何かしよう
とすることを一旦あきらめます。


あきらめきれなかったら、一旦全部リセットして
圧を高めるのをあきらめてみてもいいです。



そうして、圧を高めながら
自分ががんばろうとするくせを手放せたら
ポール・ドゥ・ブラ1番のポジションへ動いていくのに
アレクサンダー・テクニークのディレクションを思い出してみてください。



頭全体が繊細に動くと、体全体がついていって

片側の肩甲骨が前に行こうとするのをやめると同時に
胸骨から鎖骨全体がやさしく動きながらほんの少~しだけ横に開いていって

ひじから上の上腕骨がほ~んの少しだけ外転しながら
自分の脇の下から広がることのできる可能性を思い出します。



そうして、腕と脚の可動性とともに
腹腔内圧の状態との連携プレーに
アレクサンダーのディレクションと引き算、足し算

これかがあいまって、バレエの中の型の美しさの中で
その人の身体性の自由さが引き出されてくるのかな、と思います。






豆知識として。

日舞と洋舞の重心を意識するポイントがなぜ違うのかについて :)



日舞の場合、意識する場所は下丹田(へそ下三寸)でしたが
これは神さまなどの霊魂が地面より下に居る、と考えていたため
といわれています。

これは、アジアの伝統舞踊・芸能に多く共通する概念だそうです。



同様に、バレエなど洋舞の場合
神さまや霊魂などのスピリットや天使は空を舞っている
天に存在している、と考えられていたため
天を仰ぐような体勢をつくる
といわれています。




もしかしたらもうご存知かもしれませんが。。

「からだの使い方がどうしてそうなったのか?」

という
歴史的背景としての踊りが発生したものがたりを理解しておくと
踊るなかでの体の使い方の意識が変わり
動きの質も変化することがあります :)


それは踊りだけに限らず、あらゆる動きに共通することでもあります。


俳優や演出経験ゆたかなアレクサンダー・ティーチャーの
トミー・トンプソン氏いわく

 『その動きの始まった最初の理由を知ったなら
  ルーティーンとしてではなく、意味や理由のある動きになる』


それは、意味のない無駄な動作として動くのではなく
その人の動きに動機が備わるために
動く人が表現者として機能し
その動きもその表現する世界の中で機能することになる
ということだと思います。

表現者にとってはとても重要なカギかもしれませんね。





0 件のコメント:

コメントを投稿